大阪高等裁判所 昭和40年(ネ)1282号 判決 1966年6月15日
理由
一、まず手形金の請求について判断する。
(一)、控訴人がその主張の約束手形一通を所持していることは弁論の全趣旨により明らかであり、右手形振出人の記名および名下の押印が被控訴人の記名判(ゴム判)および印章によつて顕出されたものであることは被控訴人の認めて争わないところである。しかし《証拠》を綜合すると、本件手形は昭和三十八年八月二十四日頃訴外市川昇が無権限で、被控訴人の記名判および印章を冒用して作成したものであることが認められ、原審、当審証人木下俊文の証言中右認定に反する部分は前顕証拠に照らしにわかに措信できず、他に右認定を左右すべき証拠はない。従つて、本件手形が、被控訴人本人または被控訴人のため本件手形振出の代理権限を有する者によつて作成振出されたものであることを前提とする請求は理由がない。
(二)、そこで意見代理の主張について考えるに、控訴人は、訴外市川に本件手形振出の権限がなかつたとしても同人は当時被控訴人の使用人として被控訴人の経理一切を委され、会計事務一般について相当広汎な代理権限を与えられていたものであるから、本件手形の振出は市川の代理権限踰越行為である旨主張するけれども、右主張を認めるに足る証拠なく、却つて《証拠》を綜合すると、訴外市川昇は被控訴人が代表取締役をしていた訴外伊藤産業有限会社の従業員として同会社支配人村岡正治の下にあつて庶務経理等の事務を担当していたもので、被控訴人個人との間に雇傭関係はなく、唯会社が昭和三十六年七月頃以降銀行取引を停止され、会社名義の手形を振出すことができなくなつたので、被控訴人個人の銀行取引口座を利用し、同会社の支払または金融上被控訴人個人名義の手形を振出していた関係上、市川は被控訴人が右会社関係で個人名義の手形を振出すにさいし、その準備行為等の事実行為すなわち被控訴人の命により、所定の手形用紙に金額、満期日等その指示どおりの事項を記入し、被控訴人の記名、押印を得た上右会社支配人村岡正治に交付し、時に同支配人の命によりこれを相手方に交付する等の行為はしていたが、他に被控訴人個人の使用人としてその仕事に従事したことはなく、控訴人を代理して何らかの法律行為をなす権限の如きは全く有しなかつたものであることを認めることができるから、本件手形の振出行為をもつて市川の代理権踰越行為と認める余地はない。そうすると、控訴人の表見代理の主張は爾余の点について判断をなすまでもなく既にこの点において理由がなく、右主張に基く手形金の請求もまた認容できない。
二、次に不法行為を理由とする損害賠償の予備的請求について判断する。
まず損害の有無について考えるに、手形偽造による損害賠償請求の場合における損害の有無は、手形金額によらず、手形授受の原因行為によつて定むべきものであるところ、《証拠》を綜合すると、本件手形はさきに市川昇が村岡正治の依頼によつて偽造し、村岡より割引のため木下俊文(控訴人の夫)に交付した被控訴人振出名義の金額五〇万円の約束手形の一部書替手形として、同じく市川が村岡の依頼により偽造し木下に交付した被控訴人振出名義の金額二〇万円の約束手形の最終書替手形で、直前の手形金額二〇万円に一カ月分の利息一二、〇〇〇円を加算したものを手形金額とし、木下において受取人の白地部分を割引金の出資者である被控訴人の氏名をもつて補充し、被控訴人を所持人としたものであることが認められ、右木下、村岡両証人の証言中右認定に反する部分は措信し難い。右事実によれば被控訴人において当初金額五〇万円の約束手形を割引した際夫を通じ現実に村岡に交付した割引金(前記各証人の証言によると右手形金の内二〇万円のみを割引し割引料一二、〇〇〇円を控除し、一八八、〇〇〇円を交付したものと認められる)に相当する金額については右手形の取得により損害を被つたものと言いうるとしても、本件手形はその書替手形であつて本件手形取得の際には現実に何ら対価が支払われていないのであるから、本件偽造手形の取得により被控訴人は何ら損害を被つていないものといわなければならない。そうすると右五〇万円の手形偽造を理由とする場合は格別、本件手形偽造を理由とする損害賠償の請求は爾余の点について判断するまでもなく理由がない。
三、最後に貸金を理由とする予備的請求について判断する。
前掲証人木下俊文の証書中控訴人の主張に副う部分は、《証拠》に照らしてたやすく措信し難く、他に控訴人主張の貸金の事実を認むべき証拠はないから、右請求もまた失当である。
四、よつて控訴人の請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべく、結局これと同旨の原判決は相当であるから、本件控訴は理由なしとして棄却する。